システィーナ礼拝堂システィーナ礼拝堂の入り口に番人がいて、入ってくる「信者」の服装をチェックしています。ショートパンツや袖なしのシャツを着た女性は追い返されます。 ランニング姿の男も入れません。 ヨーロッパは服装にうるさいので、私はさして気に留めていませんでした。 広い礼拝堂の中は、大勢の人の話し声で賑やかでした。 なるほど素晴らしい絵でした。皆さんも機会があったら、ここに来ることをお薦めします。 ここで私は、同行者とはぐれてしまいました。 探し回っても見つからないので、私は出入り口の番人に場内放送を頼みました。 しかし、あっさり拒否されました。 英語が得意でないのか彼は多くを語りませんでした。しかし彼は「ここは礼拝堂だ」と言いました。 後から聞くと、彼女の方も場内放送を頼んで拒否されたそうです。 その時私は閃きました。 「ここは礼拝堂だ。礼拝堂に来るのは祈るためだ」。 キリスト教は偶像崇拝を禁止しています。神でないものに感情移入してはいけないのです。 ミケランジェロの傑作は、信者の信仰心を高める為の道具であって、芸術品ではないのです。 この信仰の道具に対して、「芸術」という信仰とは別の価値を見出すことは、偶像崇拝に通じてしまいます。 16世紀のイタリアに現れた狂信的な修道僧であるサヴォナローラは、名画を「悪魔の道具」だとして焼いてしまいました。 場内アナウンスをすれば、芸術品を見に来た観光客という「信仰の敵」を礼拝堂に入れたことを、教会が公式に認めたことになってしまいます。 実際には、祈る目的でこの礼拝堂に来た人はいなかったと断言できます。 しかし、教会はこの事実を認めるぐらいなら、システィーナ礼拝堂を閉鎖するはずです。 カトリック教会は、原則を強固に守っているのです。 礼拝堂の拝観料を取り休憩のための喫茶ルームを作れば、莫大な収入になるはずです。芸術品の維持のためには費用がかかるという理由が使えます。 しかしそんなことをしたらカトリック教会は、自分から信仰を否定することになります。 原則を守りその権威を維持することで、カトリック教会は二千年間続いてきたのです。 この原則は、ヨーロッパ中の有名な教会全てに当てはまります。 フィレンツェの花の聖母教会、パリのノートルダム教会、皆拝観料は採りません。 そしておかしな服装の者は、礼拝をしに来たのではないとして、追い返します。 ミラノの聖母教会は面白かったです。礼拝堂に入るには、勿論拝観料は採りません。 しかし、教会は高い建物で見晴らしがいいので、エレベーターで屋根に登ることが出来るようになっています。このエレベーターは有料でした。 アメリカはどうかですって? アメリカには拝観料を取れるような伝統のある教会などありません。 |